ぐうたら野菜生活。

世界のどこかで生きています。

出来ないお願いを繰り返されると逃げてしまう、だがそれで良し

 

はじめまして。上海と申します。

夏はやっぱり麦茶ですね。

 

出来ないお願いを繰り返されると逃げてしまう、だがそれで良し

 

私は、新しい出会いが好きです。知らない人と話すとき、独特の良い緊張感がうまれているように思いませんか?例えると、簡単な漢字テストを受ける前のどきどきのような感じでしょうか。また、相手がどういう人なのか探る段階は、少々の恐怖を伴います。それもまた、楽しいのです。

そんなわけで私は、居酒屋で隣の席の人に話しかけにいったり、ツイッターで相互フォローになった人と連絡をとりあったりするようになったり、出会い系のアプリを使ってみたりと、とりあえず色んな人と話してみたいと思う気持ちが強い人間でした。

いや、今でもそのような人間ではあるのですが、今は、「色んな人と話したいという気持ち」よりも、「めんどくさくなってしまったら嫌だなという気持ち」の方が強くなっており、簡単にホイホイ色んな人と遊びにいくこともなくなりました。まあ、なんというか、めんどくさくなることが多かったのですね。

そして、めんどくさいと感じる時、それは、相手から叶えられないお願いをされている時だと、あるとき気が付きました。

会えないと言っているのに、会いたいと言われる。電話できないと言っているのに、声がききたいと言われる。〇日なら会えるよ、と提示している場合、その日まではどう頑張っても会えないのです。会えないよ、と断ることは、私にとって、とても体力を要することでした。出来れば会いたいと思っている人でも、しつこく会いたいと言われると、HPがどんどん削られていき、一種、いのちの危機を感じるほどなのでした。

色んな人と関係を作れば作るほど、会いたいと言われることも増えるわけであり、スケジュールも詰め詰めになって、1、2か月先ごろまで予定が入るようになると、もう全てがどうでもよくなってしまいました。もういいや。もういい。会っても最終的には大体ホテルに誘われるし、そこで断るのもしんどいし、もういいや。知らん知らん。

そんなわけで、吹っ切れたときに、すべての約束を白紙にして、一人の時間を目いっぱい楽しみました。その時に本当に会いたいと思っていた人とだけ会いました。しつこくメッセージを送ってきて、私が連絡を怠ると怒ってくる人はブロックしました。謝る必要性は皆無だったのです。何も笑えない面白くない連絡を寄越す人も、時間の無駄と気づき、ブロックしました。ああ、もうやめたやめた。頭おかしかったんだ。本当に面白くて、楽しくて、傷つけてこない人とだけ、楽しくやってりゃいいじゃん。自分から不幸になりにいく意味なし。気にする必要なし。

はい。そうしたら、私の人生は、本当に本当に楽なものになったのです。沢山の人間と交流してみたいけれど、あの時みたいにしんどくなるのは嫌なのです。いい出会いもあったけれど、それは一握りでした。数撃ちゃ当たると言いますが、スコープを覗いて本当に良い獲物だけヘッドショットした方が断然いいと思ったのです。

それでも私は頭が悪めなので、今でもたまに嫌な感じの人間に自分から着いていってしまったりします。人間への期待値が高いのかもしれません。本当に気の合う人を見つけるのは難しいので、何度も失敗しながら、精度を高めている途中の段階なのです。

やはり友達は、前より減りました。しかし胸を張って、「この人たちは面白くて最高そして優しい」と言える方々で布陣を固めさせていただいています。その安心感たるや。なにものにも代えがたいと思います。この方々のことは精一杯しあわせにしたいと思いますし、私も、そのように思ってもらえるような人間になろうと、ここでまた誓うのでした。

 

上海